403: 2008/09/15(月) 17:24:52 0
元エネ夫(だと思う。膿家脳もかなり濃い)との過去話を投下します。
大学時代から付き合ってた元エネ夫、私が大学を卒業するとすぐに、プロポーズ。
後で知ったんだけど、元エネ夫の両親が、私の大学卒業を待っていたかのように言い出し「パパンとママンが結婚しろ」って言ったからプロポーズしたそうな。
元エネ夫の意思でプロポーズしてくれたわけじゃないらしいorz
卒業した年の秋に結納。
卒業の翌年の初夏には、結婚いたしました。
元エネ夫、サラリーマンで 3つ年上。
義実家が絡まなければ、良いヤツだった。
元ウト、小さい会社を運営するが婿養子。
タヌキじじぃ。
元トメ、家事能力ゼロ。
汚家作成能力、最強。
元コウト、当時大学生。私の2つ年下。
唯一の味方だった、と思う。
結婚が決まるまで、1回しか会った事のなかった元ウトメ。
汚家ではあったが、そこそこ良い人達。
元エネ夫も、元ウトメにいろいろ口出しされそうになると、
軽く諫めて元ウトメの事を、そこそこ上手に扱っていた。
が、しかし。
結婚が決まり、お式の準備段階に入ると「何かがおかしい」と感じ始めた。
元エネ夫の実家は、赤の事を「ねね」と呼ぶ地方(以下、ねね県)。
私の実家は、某政令指定都市。
元エネ夫は、転勤で首都圏。
元ウト「わしも会社をやっており、式は、こちら(ねね県)でやってもらう事になる。
日取りは、わしの誕生日にした、はっはっは、めでたいめでたい」と。
うちの父も母も「おまえは貰ってもらう身なんだから、あちら様の意向に
文句を言わないように」と。
ごめんなさい。
初めてカキコするので、ご迷惑かけてます。
お言葉に甘えて、過去話だけど、続き投下させて頂きます。
結局、お式は「ねね県」で、日取りは「元ウトの誕生日」に。
しかも、元ウトメ「二人とも遠くに住んでるし、お式の事は、すべてわしらに
任せて欲しい」と。
司会者の選出も、テーブルウエアも、引き出物も、お料理も、
ぜ~んぶ元ウトメだけで決めやがった。
いったい「これ」は「誰の結婚式」なんだ?と、
元エネ夫に詰め寄っても「パパンとママンの楽しみを奪わないで」と。
結局、当事者が口出し?できたのは「私の衣装」だけ。
その衣装選びも、元トメに「こっちの式場の衣装屋さんで借りて欲しいっちゃ。
お母さんと選びに来て」と言われた。
で、予定を組んで行くと、何故か、元トメも一緒についてきて、
元トメ「そんなのは嫁子ちゃんには似合わないっちゃ」だの
「そんな黒いのより、こっちのピンク色のが良いっちゃ」
だのと、当たり前のように「自分の好みを押しつけて」くる。
元エネ夫は「お袋は、女の子が欲しかったから、一緒に選ばせてあげてよ」と
やや申し訳なさそうにしてたけど。
事前に、母と「シックで落ち着いた打ち掛けにしようね」と
いろいろと相談していったのに・・・
うちの母なんて、隅っこで小さくなってて、可哀相だった。
ここら辺りで、元トメに何も言わない元エネ夫のおかしさに
気がつくべきだったとは思うが、当時、それなりに浮かれてて、
それができなかった自分が愚かしい。
今は他の報告も無いし落ち着いてどうぞ
皆さん、ありがとうございます。
では、続きます。
そんなこんなで迎えた披露宴当日も、酷いモンだった。
当日朝、元ウト「嫁子ちゃんは、お料理に手を付けないように。その代わり
控え室にご飯用意しておいてもらうから、それを食べなさい」と。
その「ご飯」ってのが「新幹線の中で売ってるみたいな箱入りサンドウィッチ」だけ。
しかもお色直しのバタバタで、それさえも食せず。
空腹で花嫁殺す気か?
宴もたけなわになれば、ねね県のわけのわからん民謡隊が披露宴会場を踊り狂い、
元ウトメの親戚は、全員席を立って一緒に踊りまくってた。
こっちの親戚は、ぽか~ん。
さらに、元ウトの会社関係のおっさんの長ったらしい挨拶だらけで、
あれは「結婚披露宴」じゃなくて「2代目披露宴」だったと、マジ思う。
始終、披露宴の間、元エネ夫は「我慢してね」とだけ。
あんなの「自分の結婚式じゃねぇ~よっ!!」
式が終わった後は「親戚が家に集まるから顔を出せ」と元ウト。
疲れてるけど、今後のつきあいもあるしと出かけると、すっかり酔っぱらった
親戚のおっさん達の「エ□エ□口撃」炸裂。顔ひきつらせつつも、笑顔で対応したけど。
一緒になって「ニコニコ」してる元エネ夫。
で支援
支援、ありがとうございます。
過去話の投下なのに、すごく嬉しいです。
新居は、元エネ夫の仕事の都合で、首都圏。
元ウトがリタイアするまで会社を継ぐ必要はないから、
それまでは、好きにしろと言われてたので。
元ウトメと、物理的に離れている事は、ほんとに救いだった。
「嫁は働かなくて良い、うちのムチュコタンのお給料で食べていけるんだから。
嫁が働くなんて、ムチュコタンの恥」と。
私が仕事する事に反対の元ウトメに内緒で、早速、新しい土地で仕事を見つけた。
でも、その物理的な距離を埋めたくてしかたがなかった元ウトメ。
毎日、留守電にメッセージが入ってた。
ほとんど留守電でやり過ごしてたら、葉書が届くようになって怖かった。
「こっちは、○○です、そちらはどうなんだ?」みたいな、近況を知らせてやるから
そっちも、逐一、知らせろ系の内容だった。
元エネ夫に「これ、何とかならない?」と相談するも、
「まぁ、気にしてもらえるんだから、ありがたいと思いなよ」と。
あの人達には「新婚さんの邪魔になる」という感覚はなかったらしい。
新婚1ヶ月で、私の体重5キロ落ち、離婚するまでそのままだった。
元エネ夫は、3ヶ月で10キロ太った。
>っちゃ
でけーかまぼこが引き出物についてくる県かー!
20キロ!!
じきにお盆だったけど、あまりにしつこいので、お盆とは別に、行く事に。
飛行機も使って、ドアtoドアで4時間の移動。
やっと着いた玄関口で、元トメの最初の一言が「ねね、まだけ?」だった。
は?結婚してまだ一月ですけど?
元エネ夫の顔を下から見上げたけど、ニタニタしてるだけ。ダメだ、こりゃ。
する事もないので、元エネ夫は、地元の友達に会ってくると遁走しようとした。
こんな汚家に一人残されるのは耐えられないので「私も行きたい」と、一緒に
行く事になった。
二人で玄関で靴を履いてると、元トメが出てきて
「どこに行くっちゃ?」と険しいお顔。
元エネ夫「ちょっと、本屋へ」とか言えば良いのに、馬鹿正直に「○○に会ってくる」と。
それを聞いた元トメ「嫁子ちゃんは、行かなくて良いっちゃ」と。
はぁ?ってお顔で、元トメと元エネ夫のお顔をそれぞれみたけど、
元エネ夫は、両目をシパシパさせて何やら合図してる?
さらに、元トメ「嫁子ちゃんは、残られ(「られ」は、ねね県の命令形)」と。
なので「まだ、何かお手伝いする事がありますか?」と聞いてみた。
元トメ「ないけど・・・、とにかく嫁子ちゃんは、ここに居れば良いっちゃ」と
言い張って聞かないので、約束のお時間もあるし、元エネ夫だけ出かけた。
その間、ず~っと居間で元ウトメと一緒にTV観させられてた。
退屈そうにしてる事に気が付いてくれたのは、元コウトちゃん。
元コウトちゃん「嫁子ちゃん、オレの部屋でゲームしない?」と、
居間から連れ出してくれた。
唯一、この元コウトちゃんだけが、救いだったなぁ。まさにハキダメにツル。
前置きが長くなりましたが、そんな力関係でスタートした新婚生活。
私達だけで居る分には、普通の夫婦ゲンカをする程度の普通の新婚さんだったと思う。
鯛と松竹梅と鶴亀がついてるのは見たことがある
読んでるだけで泣けてきた。
一人の一生分位じゃない?<20kg
支援。
ありがとう。支援に応えて、続けさせて頂きます!!
あと10話くらいです、長文で、すみません。
ちなみに、全員20キロじゃないです。
主賓クラスの方だけです。
後は、2キロくらいだったと思う。>かまぼこ
12月に入ると、元トメから電話。
「年末年始は、こっちで過ごせ」と。
当時の元エネ夫は年末ギリギリまでお仕事。
なのに「嫁子ちゃんだけ先に来られ(られ=命令形)」と。
あんな汚家に、たった一人で行く勇気はないので、
元エネ夫に「年が明けたら一緒に行く」と言わせたけど。
で。
1月1日、例のごとく4時間かけて汚家の玄関へ到着。
到着したその場で、靴も脱いでないのに、
元トメに「じゃ、奥の部屋から掃除してくたはれ」と言われ、絶句。
掃除は年末に終わっていないのか?
元エネ夫の顔を下から覗き込むと「片目つぶって」何やら合図してる?
要するに「ママンに逆らわないで」と?
結局、荷物を置いてすぐ、お茶の一杯も飲まずに、お掃除開始。
嫁が帰ってくるまで「お掃除はとっておいてあげた」そうな。
私がお掃除してるのに、元エネ夫と元ウトメ達は、居間でお茶飲みながらご歓談。
お掃除が終わると、お夕食の買い出しリストを渡され、唖然。
私、生のお魚(お刺身)が、大嫌いで食べた事がない。
それは、結婚前から元ウトメも承知。
(結婚前に挨拶に行った時は、ステーキハウスに外食だった)
なのに、リストは、ぜ~んぶ生の魚介類。
元エネ夫が車を出してくれて、一緒に買い物へ。
「私がお刺身食べられない事って、知ってるよね?」と聞くと、
「知ってるけど。某政令指定都市のお魚は不味いから食べられないんだ。
ねね県のお魚なら新鮮で美味しいから大丈夫ってママンもパパンも言ってたよ」と。
そういう問題じゃないと思うんだけど。
もう、白いご飯だけ食べる覚悟をキメました。
投下してくれた方がいいw
了解。
お夕飯の後片づけの時。
私以外は、居間でTV観て、ご歓談。
少しして、元トメが側にやってきて、洗い物をしてる私の横から手を出して
蛇口から出るお水(お湯)を触ってきた。なに?何がしたいの?
ねね県は雪深い寒い土地なので、当然、お湯を使ってたんだけど、
元トメは、何も言わずに「お湯側の蛇口」を閉じた。
そして「お湯がもったいないから水で洗え」とのたもうた。
夜になって、お風呂のお時間。
元トメが「今日は寒いからお風呂なしで良いけ?」と。
元エネ夫達「良いよ」と。
その翌日も、その翌々日も「なんだかんだと理由をつけて」
結局3日間、お風呂なし。
やっと眠る時間になって、元エネ夫に、上記の出来事を「あんまりじゃない?」と
相談したら、「ごめんな、我慢してやってくれ」とだけ。
その晩、私は、腹痛もないのに、酷いゲリゲリになった。
(以降、この家に来る1週間前からゲリゲリ状態になるように)
翌朝、7時覚醒。
居間に降りると、元ウトメが鎮座。
元トメ「朝寝坊っちゃね~」と。
翌朝は、6時に起床。
それでも、居間には、すでに元ウトメが鎮座。
その翌日は、4時にトイレに起きたら、すでに元ウトだけ居間に鎮座。
一応、お顔出したら、元ウト「おはよう、今日はちゃんと起きたんだね」と。
ありえね~!!
(元エネ夫は、7時までぐっすり眠ってても、元ウトメは何も言わない)
そのまま、朝ご飯の支度へ突入。
朝から「昨夜の残り物のブリのお刺身」だった。
当然、私は白いご飯とおみそ汁だけ。
ありがとうございます。
相談者さんの邪魔しないようにしますね。
お昼間、あまりの空腹に、元エネ夫に「マックとかで良いから」と
外で何か食べたいと相談。
でも、元ウトメはジャンクフードは毒だと信じてるから、良いお顔しない。
「本屋へ行ってくる」と、ウソついて出かけた。
で、ケンタッキーでチキン食べて帰宅すると、玄関に元トメが出てきて、
「遅かったね、どこ行ってたっちゃ?」と。
ここで、元エネ夫「もごもごもご」と口ごもりやがった。
それを見た元トメに問い詰められて「ケンタッキーに行ってきた」とゲロ。
元トメ「あ?豚のエサ、食べてきたっちゃ?あ~んなモン、よく食べるね~」と。
嫁子ちゃんは、豚のエサ食べて来たっちゃ~、豚のエサ、豚のエサ・・・
と連呼された。
そう言われてる間も、元エネ夫は、ぜんぜん庇ってくれなかったっけ。
新婚1ヶ月で、私の体重5キロ落ち、離婚するまでそのままだった。
元エネ夫は、3ヶ月で10キロ太ったけど。
結局、お盆とお正月しか行かない事で何とか我慢してたけど。
日々の留守電と葉書は続いてたっけ。
続きます。
その他、帰省すれば必ず聞ける元トメ語録。
・嫁は「ねね県」の子が良かったっちゃ。
・嫁子ちゃんは「旅の人(=よそもの)」だっちゃ。
・チュコタンの友達の○○クンのお嫁ちゃんは、同じ街の出身で
ほんとにできたお嫁ちゃんだっちゃ。
・会社やってると、不景気って、困るわよねぇ。
その点、嫁子ちゃんの家は公務員で良いっちゃね~。
お給料はお安いけどねぇ。
・ムチュコタンなら、もっと良いお嫁ちゃんが来るはずだったっちゃ。
まぁ、要するに「よそ者」の「私」が気に入らない、と。
そんな語録を言われて黙って耐えてる姿を見ていても「悪気はないから」と
元エネ夫は、助けてくれなかったっけ。
で。
結局、結婚翌年の10月に、年末の「ねね県帰省の事」で
元エネ夫とケンカになり、
「パパン、ママンの悪口、言うな~!!」と、
ふいに後ろから突き飛ばされて転んで、
顎から床に着地して、衝撃で前歯が欠け、両膝打撲。
吹っ飛んだ私をみて、元エネ夫は、すぐに謝ってくれたけど。
許せるか!!
翌日、実家に荷物まとめて帰った。
(朝、元エネ夫を普通に送り出し、
そのまま、貴重品持って、脱出した)
勿論、事前に実家には連絡済み。
当時の診断書があるけど、整形外科と歯科の分、それぞれ、全治3週間って書いてある。
当時、このスレがあったら、この時点で離婚だったのに。
吹っ飛んだレベルだよな。
その夜。
何故か、実家に、元エネ夫じゃなくて、
元ウトから電話が入った。
電話の向こうで、ぎゃんぎゃんと吠えてるらしい元ウトに対して、
電話に出た、うちの父。
「何故、娘が帰って来てるのか、わかりますか?」と、
冷静に対応してくれてた。
元ウトは、元エネ夫から「嫁子ちゃんが、急に実家に帰っちゃった。
ボクは、理由がわからないよ」と言ってた模様。
自分の親に、ほんとの事言わないのは、想像してたけど。
結局、元エネ夫本人からは連絡なし。
その週末に、元ウトに連れられて元エネ夫が実家に来た。
一人で迎えに来る事もできないヤツだったらしい。
そこでも、いろいろと話したのは、「元ウト」だけ。
しかも、元ウトがしゃべる事は、
「嫁のくせに、だんなを置いて実家に帰るなんて、なっとらん」系の事だけ。
突き飛ばして怪我させた事に対する謝罪は、元ウト・元エネ夫とも、一切なし。
要するに「大事なムチュコタンを置いて実家に帰った嫁に説教たれに来た」らしい。
ただ、後で二人になった時に、元エネ夫は「ごめんね」と謝ってくれた。
そう、二人の時はちゃんとしてるんだよね。
使ってるとぶん殴りたくなるな
そんなのちゃんとしてるうちにカウントできるかー!!!1!
支援
でもクソ義実家むかつくぅぅぅぅ
これ結末まで読むとスカッとするんだろうな!
しなかったら寝られなくなりそうだw
この時点でテンプレエネ夫、義実家は汚家で3日風呂なし当たり前
生魚食べられないのを知ってて刺身、403激痩せしてもエネ夫ニコニコで相手にもしてくれない
帰省の事で口論になり、ボクチンの親の悪口言うなと突き飛ばされ前歯が欠け両膝打撲の全治三週間
謝ってきたけど無視して実家に帰った。義実家からテンプレ電話が来た。
で済むが支援
度々の支援、ほんとに嬉しいです。
皆様の想像力、すごいですっ!!
続きます。
結局、そんな事の繰り返し(汚家での状況は変わらず経過)で2年が過ぎた。
ある日、元ウトから「見せたいものがあるから、帰って来い」と指令があった。
有無を言わせない元ウトなので、万障繰り合わせて、元エネ夫と、ねね県へ行くと。
車に乗せられ、3000メートル級の山々を望む「ど・田舎」の
150坪の土地を、嬉しそうに披露された。
一人語りの元ウト。
「ここに家を建てる。
ムチュコタン、わかってるよな?」と。
元エネ夫に「どういう事?」と目で聞いてみたけど、おどおどするばかり。
この件があって、このままだと、元ウトのリタイアを待たずに
あの「ねね県」で「あの元ウトメと同居」だと、危機感を感じた。
また「年末のねね県帰省」の事でケンカ。
この時、はっきりと元エネ夫に言った。
「私は、ねね県に住むつもりは毛頭無い。
あなたが、このままサラリーマンを続けてくれて
あのねね県に帰らない、あの150坪の土地にも
住まない、と、そう約束してくれるなら年に2回の帰省だけは
我慢するけど、それができないなら、離婚して欲しい」
と。
元エネ夫、言ったね。
「ボクは、あの家・会社を継ぐ為に育てられたから、
ねね県に帰るのは、絶対だから」と。
続けて、元エネ夫曰く
「2月に友達(私達共通の友人)の結婚式があるから、
それまでは、離婚は待って欲しい」と。
あ?
世間体がそんなに大事なの?
あぁ、そうですか。
その年末も、いつもと同じように、ねね県へ行き、
いつも通りに「嫁」をやってきたので、元エネ夫は、
「嫁子ちゃんは、ほんとは、ボクと別れたくないんだ」と
楽観してたみたいだけど。
私の中では、2月の友達の結婚式が終わったら、
そっこ~で離婚に向けて始動の予定だったから、
「最後のお勤め」だと思うと、元ウトメにも腹が立たなかっただけ。
2月末。
「さて、5月の連休使って、それぞれの親に離婚の意思を
伝えつつ、ご挨拶に行く事にしたいんだけど、
都合つくかしら?」と、切り出すと、元エネ夫、泣きそうな顔で、
「嫁子ちゃん、ほんとにボクと別れるの?」と。
あったりまえだっつーの!!
私は、もう、決めたんだから。
あの時「家と会社を継ぐ」って、あんた言ったじゃない?
「はい、別れます。
慰謝料も何も要りません。
とにかく、あなたの汚実家とのご縁が切れる事が
今の私の一番の望みですから」
gkbrすぎる・・・・
「5月に挨拶に行くからって、元ウトメに連絡しておいてよ」と
言ってあったのに、
結局4月末になっても、元ウトメに連絡してない事が発覚。
慌てて、元エネ夫に、元ウトメに電話を入れさせた。
渋々、電話をかける元エネ夫。
「あ、おやじ、連休に帰るから」とだけ言って、世間話してるから、
途中で、受話器取り上げて
「お父様、お久しぶりです。
私達、離婚しますので、うちの父と一緒に5月の連休にご挨拶に伺います。
日程調整、よろしくお願いしますね」と言ってやった。
元ウトは、受話器の向こうで「嫁のくせに、ふじこふじこふじこ」と、
ふじこってたけど、無視して、元エネ夫に受話器返してやった。
ざまみろ。
私の実家に「もう、離婚決めた。離婚後は、そっちに帰りたいけど、良い?」と
連絡した時には、父が静かに「自分が決めたなら、そうしなさい。
こっちは何とでもなるから」とだけ言ってくれた。
5月の連休に「ねね県」に挨拶に行く事も「当然、義理は通す」と
快く応じてくれた。
ほんとに、自分の親だけど、良い人だと思った。
ほんとは、外で会いたかったけど、
あっちが譲らないので、義実家へ行った。
元ウトの最初の言葉。
「二人が決めた事なら、わしらは何も言う事は、ない」
だった。
にもかかわらず、その後3時間、元ウトの独壇場。
3時間の元ウト語録。
・嫁なら、毎日、ご機嫌伺いの電話をするもの。
・盆と年末しか来なくて、嫁貰った気がしなかった。
・ムチュコタンには、もっと地元でふさわしい嫁を貰うべきだった。
・孫も産まれないし(おまえらの遺伝子なんていらん、だから、、
ず~っと作らなかったんだよ!!)
・仕事したかったから作らなかった?(おまえらには、内緒でず~っと働いてたんだよ!!)
・とにかく「側に居ない嫁なんて、イラネ」
毎日、側に居るのが嫁だ、嫁子じゃ、嫁、貰った気がしなかった。
ってな事を、言い換え言い換え、しつこくしつこく3時間、しゃべりやがった。
元トメも元エネ夫も、ち~んと座って黙って聞いてるし。
私は、出発前に、父から「もう、これで最後の禊ぎになるから、
何を言われても、口答えするんじゃないよ」と、言い含められて来たので、
ぐっと、我慢して聞いてやった。
どこまでも続く上から目線のお言葉。
それを聞いても何も言わない、元エネ夫。
電車の時間が迫ってきて、やっと解放された。
最後に、玄関に見送りに来た元トメが
哀しそうな声で「嫁子ちゃん、ごめんね」と言ったけど、
「もう遅いわ、ぼけっ」と、心の中で毒づきつつ、
「こちらこそ、至らない嫁ですみませんでした」と
言ってやった。
2月のお友達の結婚式まで待ったのか・・・
んで傷害モノの怪我させられたのに慰謝料なしで別れたいって?
403の元夫は、エネのエリートにちがいない。
ネタじゃないけど。
ネタに思えるくらい変な家だったかも。
その後、
元エネ夫との共通の友人から聞いた話。
離婚した年のお盆に独りで帰省した元エネ夫。
親戚から「今年は嫁子ちゃんは?」と聞かれたらしい。
自分が何か言う前に、元ウトメが、
「体調崩してて来られないから、首都圏の家に残ってる」と言ったらしいorz
親戚からは「まぁ、ひょっとして、おめでた?」とか言われて困ったらしい。
ざまみろ~!!
それにしても、離婚したって親戚に言ってないの?
余計に「ムチュコタンが恥かく」って、わかってないのね。
駄文の長文を読んで頂き、
ありがとうございました。
あれから数年が経ちましたが
もう、結婚はこりごりなので、離婚後とった国家資格活かして
独り身で、バリバリ働いてます。
ここに吐き出させていただき、
すごくすっきりしました。
皆さん、優しいお言葉、ありがとうございます。
慰謝料は、もらっていませんが、
首都圏からの引っ越し代は、元エネ夫に払わせました。
確かに、自分、大物エネmeだったのかも。
それでは、消えます。
ありがとうございました。
逆に言えば物凄く温厚な人で争いを好まない人とも言える。
今度何か縁があったときは見る目をしっかりもって
良い人見極めてね。おつかれ。
ねね県のものとして言わせてもらえば
ねね県だからって、そこまでDQNなのは珍しい。
結婚式のかまぼこだって量より質になって今じゃもっと小振りだ。(配るけど)
そしてねね県のウトメより元エネ夫の方が痛い。
ねね県娘は結構したたかでウトメをこき使うツワモノも多いので、ねね県で再婚は難しいだろう。
ねね県で子供時代を過ごしたけど基本的に陰険な人は多かったよ。
小学校で仲のよかった友達が、中学は別になったんだけどそこでイジメにあって自殺した。
中一の女の子をそこまで追い詰める富山県民は異常だと思った。
助けてあげられなくてごめんなさい。
いまでもその時いじめた奴らはのうのうと生きているんだろうか。
今三十代前半だが結婚して子供を産んだりしてるんだろうか。
そのこが得られなかった幸せを当然の顔して享受しているんだろうか。
許せない許せない許せない。
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