普通なんだけど当然なんだけど
子供が大きくなって、要らなくなったベビーカーとチャイルドシート、その他を車に積んで、地域のごみ処理センターに搬入した。
車ごと計量し、指示された建物に入る。
そこで係員さんにゴミを受け渡すんだけど、そこで係員さんがベビーカーをハンマー投げの如くゴミの山に向けて投げた。
重いチャイルドシートも雑に投げて、ガシャーーーンと落ちた時にプラスチックカバーが割れまくり。
なんかその時、ああ、あのチャイルドシートは娘が生まれたお祝いに母が買ってくれたなー、七万だったなー、あれ安全だけどベルトが頑丈で乗せるの一苦労だったなー、あそこに行ったなどこにも行ったなー、あそこに行った時ゲロ吐かれて一生懸命分解して掃除したなー、とか思い出が甦ってきて、それで最後はこんな扱いか、、、とセンチメンタルになった。
係員さんにはそんな事は1マイクロメートルも関係ない話。
素早く淡々と仕事をなさっている、デキるオッサンだ。
メンタル弱い俺は、シール買って粗大ゴミで出す事にしようと思った。
現場監督見習の頃、建て替えで一軒家の解体工事を担当した、
戦後すぐ建てられたような家で、小屋と見られても仕方ないほどだった、
現場で考えることと言えば安全第一とスムーズな作業、
途中で施主もいらして解体の様子を見てた、
施主にとっては生まれてから住んだ思い出の家だったのだろう、
ときおり涙をぬぐっていた、それ見た瞬間自分も感極まってきた、
もちろん顔には出さないけど、心の中で丁寧な仕事と
新築工事では気を引き締めてとりかかろうと思った。
食器棚を親父と一緒に処理センターに持ち込んだ時、「分別にご協力ください」とあったので、ガラスは別にして持っていって「ガラスはどうします?」って親父が聞いて差し出したら、センターの職員はそれを受け取って食器棚を落とした破砕用の穴にそのまま放り込んだ。
あまり怒った事がない親父だったが、あの時は納得いかないって顔していた。
そこでは棚もガラスも粗大ゴミという括りで分別の必要がないってだけじゃないの
その「分別協力」の意味するところは
例えば資源ごみや可燃を入れないでとかそういうレベルの話だと思う
何もおかしくない気がする
>>198
何度か書いたことあるけど
空き家になった生家を消防署の訓練で燃やされ
しかも社会見学と言う事で授業で見せられ…
何軒かあるのに、よりによって俺が生まれ育った家を燃やさなくても…
ちょっとわかる
俺も大学時代から20年くらい使ってたコタツをゴミ処理場持ってた時に同じような思いしたわ
車から出したとたらすぐ、おっちゃんがハイこれねって言ってポーンッグシャと集積場所にぶん投げた
ちょっと感傷にひたった後、まあそんなもんだなと思って帰ったwww
それは所有者のご両親が承諾したからでしょ。
っていうか、消防署もお願いしたり募集をかけるくらいしか出来ないから
ご両親の方が申し込んだのではないの?
燃やす代わりに後片付けをやってもらって更地に出来たならお得だと
>>214
むか~し 昭和の時代
横浜市は燃えるゴミ・燃えないゴミの区別が無いと聞いたことがある
でもってウチの街に引っ越してきた横浜人
燃えるゴミ・危険物(方言)
この区別が分からんと悩んでいたな
>>223
社宅住まいだったので所有者は父親の勤務している会社
工場拡幅の一環として社宅一式を取り壊すときに
消防署の訓練も兼ねたそうだ
取り壊す家屋が何軒も家屋がある中で、よりによって… と言う気持ち
平成一桁の頃もまだ分別してなかったよ。
そのレス、コピペになってた気がする
笑ったコピペ扱いで
川崎市は今も割とルーズだよ。プラゴミは可燃ゴミとして出してもまあまあ持って行ってくれる。
横浜よりは分別が楽だなあと思ってる。後は住む場所を海の方にしないとかは有るけども。
今の場所は東名川崎インターも第三京浜も割と近い辺りだから何かと便利。
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