平成になり、会社にワープロが普及しつつある頃
当時、残業時間の計算はタイムカードから残業時間を計算して、一ケ月分をまとめて
それを各営業所別にまとめて。。。と言うのを電卓を使い計算していたので、
数人で数日かかっていた。
俺が新人研修で経理に配属されて
ワープロ付属の計算機能(エクセルもどき)を使って一瞬で計算を仕上げたら
経理課員が皆衝撃を受けていたな。
その後俺が別の部署へ転勤したらまた元の電卓での計算に戻ったのも衝撃的だった。
何万人くらいの会社なのか知らないけど手入力の表計算ソフトで一瞬の作業に数人で数日はかかりすぎでは?
業務用の電卓にはそれなりに便利な機能がついてるでしょ
いや
言い過ぎじゃないと思う
俺にも経験があるからそう思う
もう30年以上前の話だけどもね
90年辺りはBASICやCOBOL全盛期だったし中小企業でもそれでシステム組んでたよ
盛ってるにしても時代くらい合わせようよ
一体いつの話をしてるんだ?
当時高校生の自分でも家のPCに入ってたレベル
Microsoftのマルチプランがあったりしたが未だMS-Dos(PC-Dos)機が主流ではなく、職場にはまだパソコンなるものの導入が稀で、かろうじて使い勝手の悪いオフコンがあるだけだった時代があるのを知らないんだろうね
ちな昭和62年当時のことね
生半可な知識で人の話を盛り扱いって、ひどく恥ずかしすぎる
平成初期頃のワープロ専用機のおまけ的な表計算は面白かった。
富士通オアシスだったと思うが、計算のとき画面があっちこっちババババババって移動するの。
>>67
そりゃその後数年でDOS/V機が主流になって後の話だろ
変化は急速に起こったんだよ
ちなみにLOTUS 1-2-3はうちの会社の富士通機では動かなかったんだよ 当たり前だけど
言うまでもなく当時のパソコンは各社独自のOSで動いてたんだから
だからその辺のPC変革期やワープロ専用機の隆盛時期に表計算ソフトでスプレッドシート組んで業務を効率化しようと言う若手が出てきて、PCなんて触ったこともないおじさんたちから称賛されたの
で、高校生の頃どしたって?
同じMS-DOSなのにパソコンのメーカーが違うとアプリケーションの互換性が無かった
MS-DOSジェネラルのアプリもあったけど機能やスピードで見劣りした
昭和62年にFM-16シリーズ用のLOTUS123が有ったかどうかは知らんけど富士通ほどの会社が表計算ソフトやワープロを用意してなかったとは思えない
平成元年=昭和64年=1989年よ?62年じゃまだ昭和なのに何で平成ってワードを入れたの??
それに現役で使ってたから言ってるんだよ
89年当時はまだバブル後期で一般家庭にもPCが出回り始めてワープロが終わり掛けてた時代だよ
高校生で情報処理1種2種とって卒業したらIT企業でバリバリ働く時代よ
つまりそういう子を育成する一般的な商業学校ですらとっくにPC98が配備されてたってこと
授業でがっつりCOBOL勉強したわ
ちなみにワープロ部ってあったけど普通にPCで作業してたからね
>>73
> 何で平成ってワードを入れたの??
勘違いするな
俺は>>59じゃねえよ
だが>>59を擁護すると、平成元年くらいの時期はまだDOS/V機への過渡期段階で、仕事上ワープロ専用機が必須な時代であってまだまだワープロ専用機が終わりかけてはいない
会社によってはワープロ専用機全盛だ
平成3年当時、うちの法人でも富士通からの出向SEはOASYS使ってたし、俺自身は東芝ルポを使ってた
ルポに搭載されてるLOTUS 1-2-3を使って業務改善するのが奨励されてたよ
だから>>59が言ってるのは真実味があるの
これまでの過程で既に導入されていたPCを時流に乗って一気に変更するなんてことはなかなか認められなかった時代だ
1人に 1台どころか 1課に 1台のPC設置もままならなくて、やっと配備されたと思ったら新型の富士通機だったりして、プライベートでPC98使いの俺としてはガッカリしてた
当時はそういうのも予算と付き合いの関係上しょうがなかったの
> それに現役で使ってたから言ってるんだよ
そりゃお前さんが自前で持ってたのが(俺と同じく)たまたまPC98で無双してたっつうだけの話でしょうが
その頃の一般企業が皆同じ境遇に恵まれてたという誤認識はどこから来るのさ?
商業高校でPC98が揃えられてるんだから企業だってそうだったはず? それこそ根拠ない憶測じゃん
平成3年から5年にかけて現に俺はシステム開発部門で設計指揮をとってたんだよ
その時ですらワープロ専用機は事務の主力だったし、顧客データのDBオンライン検索に使用できる主力PCは富士通機(DOS/Vですらない)だった
俺はそれじゃ不便なんで、自前のPC9801を会社に持ち込んで一太郎で仕事してたくらいだ
>>73
何が言いたいかというと
1:>>59が言ってるのは真実味があるどころか俺そっくり
2:平成初期はPC規格が入り乱れてた時代だったので自分のPC経験が全て正しいと思うのはおこがましいし、他の人や他の企業に敷衍もできない
3:平成初期でもワープロ専用機は企業によっては未だ全盛だった
4:少し目端の効く連中は、当初はPC98、中頃にDOS/V機、後にWindows3.1機を使い始めてはいたが、会社ぐるみでそういう環境が整うのはかなり時間を要したので、「俺の認識ではこうだったはず!」って言われてもねえ
5:ましてや他人様の経験談を、その誤った認識でdisるなど、下劣もいいところ
>>73が言ってることも半分は否定しないよ
俺の会社でも給与計算についてはPCじゃなくて大型コンピュータを使ってたから、おそらくCOBOLか何かを使ってたんだろう
大きい法人だったから
だから>>59が言ってるのは小さい会社での改善話なんじゃね?
んなこたーない。
平成元年当時ウチの会社はPCは一部の部署だけだったし総務は頭ガチガチで手作業こそが尊い!みたいに頑なに電卓叩いてたわ。
シフト制で変則的な就業体系だったからそれこそ数人で何日も掛かって検算までして確認してた。
盛り過ぎってことは無いと思うよ。
ちなみに「遅れた職場だなw」と言うのは重々承知。
>>59だが荒れさせてしまって申し訳ない
&
>>77氏サンクス
当時のコンピュータ―だと
会社のメイン業務では使われていたが
経理系だと
各人の残業時間から給料計算には使われていたが
各人の残業計算は手計算だった覚えがある
あんたのせいじゃないよ 気にするな
あんたは些細なことで発狂したことを反省すべき
人のフォローしてる場合かよ(笑)
この記事へのコメント
平成前は電卓で手計算だよ
某有名シンクタンクにいたけど、毎月の集計は電卓で計算する1日仕事だったからな
しかも業者にデータが渡ってから、計算ミスを指摘されていたから
なんか、懐かしいなあ
エクセルに入力して印刷して紙で提出して決められた人がエクセルに入力するルールだったな
すごい分かるわ
パソコンで処理して当たり前だと思ってる人もいるだろうけど
自分の体感だと、パソコンが普及したのは1995〜98年の間
ちょうどインターネットとdocomoのiモードが同じようなペースで普及してたイメージ
平成元年あたりだと、大学の研究室のパソコンはLinuxで、企業も専用端末かPC98が課に1台あるかどうかって感じの時代
そっから数年で、一人一台パソコンが支給されるところまで行くんだから驚きだよ
当時を知っているおじいちゃんからすると、誰が正直者で誰が嘘吐きかが分かるのが感慨深い(と同時に年を感じる)
表計算ソフトで計算した結果を電卓で検算してた
Lotus1-2-3とかOASYSとか懐かしいワードを見かけるとは
平成つっても、コンピュータ自体がまだまだ高価だったし、中小企業にもそんなに普及してなかったなぁ
なんならタイプライターが現役って所もあった
平成10年ころに大学で統計やってたけど
コマンドを全部自分で打ってたな
その後エクセルが出てきてボタン押せばやってくれるようになって衝撃を受けた