ふと、私の修羅場(半生)を書いてみる
母親は私を生んですぐ病院から姿を消した。
理由は「産みたくないのに産まれちゃったからいらない」のだと。
父親だといわれた人は資産家で別の家庭もち。
「認知できるわけないだろ!」とのことだった。
関係者一同が困っていた時、当時病院に勤めていた人の知り合いの老夫婦が
人づてに聞いたその父と母の名前を欄にうめて、
私の名前を付け、出生届を出してくれた。
そのあと、私はその老夫婦の手を経て遠い親戚に引き取られた。
この辺りの流れは、自分の戸籍を調べ、関係者の口からきいて
なんとかわかっているレベル。
今では、その老夫婦も親戚も鬼籍なのでそれ以上は詳細不明のまま。
両親となっている人らについてできるだけで調べてみた結果では、
母は完全に不明だが、父の息子は某有名人。
そら、認知したくないだろう。
そして私は他人の家庭を巡り巡って、苗字が数回、名前も数回変わった。
義務教育開始される直前に、どうしても、という養父母が現れ、
私はそこの養子になる。そこそこの家の普通の家庭の。
だが、養父母となった彼らは目的があったのか、それはそれは、厳しかった。
料理・洗濯・掃除を手伝うことが当たり前、挨拶や立ち居振る舞い、
「礼儀作法」は徹底的?らしく、養父が帰ったら三つ指をついて迎え、
家の様々なことも「させていただてるのだ」と厳しく躾けられた。
そして「いうことを聞かないと、捨ててやる」
「お前は野良猫でどうしようもないやつなのにひきとって育ててやってるんだ」
と毎日聞かされていた。ごはんとお風呂は最後、オヤツなし、
寝るときにはご挨拶して寝る。それが当たり前。なにしろ「育ててやってる」だから。
この言葉と養父母の教育方針は多分になく近所にも学校にも漏れていて、
「こんなロクデナシで申し訳ない」と学校では問題児として入学した。
毎年担任が決まるたび、養父母は私への対応の仕方について話し合いしていたらしい。
「生まれがどうしようもない、将来犯罪者になるのは間違いないロクデナシ」だから、
きちんと教育すべきだと担任は使命に燃え、他の親たちは大警戒。
友達などできるわけもない。
だが皮肉にも私がいることでクラスはとても結束が強かったw
クラスでは何かあれば私のせい、トラブルがあれば私が悪い、
「早くタヒね」「いなくなれ」と担任からもクラスメートからも言われ続けていた。
毎日の学級会は私への糾弾会、担任からのビンタや暴言も当たり前だった。
「お前は悪い人間。いつか犯罪をやらかすロクデナシ。」矯正しないとダメなんだ、と。
「みんなはこんな大人にならないようにな!」「こいつはもうダメだけどな!」教室爆笑、そんな日常。
小さな古い町で保育園から中学まで、メンバーはほとんど固定してるところだった。
転入生はもれなくイジメ対象、でもその年の子は運がよく、なじんで行けたようだ。
そのさらの下の「何やっても構わない」スケープゴート層の私が存在していたんだから。
小学校高学年の頃、事件が起きた。
「何をしてもいい」だもんで、町のおやじどもが育ち始めた私に目をつけた。
そして、そんなことが、起こった。
もうすっかりアラフォーの現在、私にこのあたりの記憶がはっきりとはない。
でも、たまにそれっぽい記憶が戻ってきて、
自分でも抑えきれないくらいの悔しさと恐怖で、
完全に基地外化したような発狂で暴れたり泣き出したり、してしまう。
対策として鎮静剤は離せない。何が起こるかわからないから。
今も、白くてドロドロしたものがダメ。
バナナとか長いアイスキャンデーとか、丸ごとのソーセージは
細かく切ってからでないと食べられない。
口いっぱいに大きなものをくわえる、突っ込まれるという行為をする
と発狂して暴れたり、失神したりもする。
木でできた天井に丸い蛍光灯があっても発狂する。あの場所の記憶で。
たぶん相手はタバコ吸ってたんだろうね。
とある銘柄のタバコの匂いにも発狂することがある。
電車の中でその匂いに気づいた時は、次に意識取り戻したのは駅のベンチだった。
友達がいてくれてよかった。発狂した私を必タヒになだめて駅を降りてくれたと聞いた。
時を戻して、事件のあった頃。
まぁ町は「さすが、色気づいたらもう男をたらしこんでる。」
おっちゃんら、武勇伝ですかそうですか。
周りはますます白い眼で私を見る。助ける人なんているわけない。
養父母も「この盛りのついた薄汚い野良猫め!まったく恥ずかしい!」
味方なんてありません。完全ボッチです。
膣って裂けてから再生はできるけど、出産するときにどうなるか保障できないんだって。
成熟してない子宮に大量に精子ぶっかけても子供できないし、
逆になんか、子宮の入り口部分が壊れたみたいになるんだってさ。
町医者さんが見てくれて、わたしにわかるように話してくれた。
「将来お母さんになりたい?」と聞かれて、「私が母親とか、いやだ。考えたくない」
と私が答えたから、子供が望めないこと、でも自分を大事にすること、を約束させられた。
何度も何度もいろんな方法で町の人やクラスメートに殺されかけて、けがさせられて、
そのたびに町医者先生は診てくれて、いつもそっと、
養父母に内緒で、いろいろと励ましてくれた。
あとで分かったけど、私が子供を望めない身体になっていたことを
町医者先生は養父母に黙っていた。診察代も薬も、私のバイト代。
保険証、そんなの使えない。でも、町医者先生は診てくれて、話聞いてくれてた。
数少ない、信頼できる大人だった。
中学になり、私は家事が一通りできるようになって
学校と家の往復のみの平凡な日々のはずだった。
それでも人々には避けられる存在なので友達はいないし、作らない。
後ろ指さされて白い目でみられても、時間があれば本を読み、
勉強するくらいしかなくて、いつのまにか成績はトップをとるようになっていた。
が、これがまたトラブルを引き起こした。
「生まれの怪しい犯罪者」で「男に色目を使う女のくせに」トップの成績をとる。
他生徒から罵倒され、養父母からきつく叱られた。
成績がよいのは目立つこと、よくないことだと。
女が上に来るのはゆるされないこと。もっと男をたてないと、と。
しえん、ありがとうございます。なんでか、目から汁がorz
その一方で、もう一つ、養父母は仕事をやめて、
私で新しい金稼ぎをしていた。今でいう児ポのモデルの活動。
「あんな生まれだから」身売りしてても何とも思われてなかった。
裸も写真もビデオもたくさん作られ売れ、養父母は潤っていた。
「一度傷物になったアバズレなので何をしてもかまいませんので」と。
「あんな生まれの野良猫」なので男引っ張り込んで金稼ぐのはフツーだと笑われ、
養父母からもさげすまれて、学校でもいろいろと絡まれたが全部無視した。
高校は養父母の望むトップ校に進んだ。
そして、「旬を過ぎた」のでモデルの仕事を引退し、
他のフツーのバイトに戻った。養父母はずいぶん儲けて満足したのだろう。
働くこともなく、毎日家にいて、好き勝手していた。
家事は私がやるし、金持ちだと親戚にも大きな顔ができる。
「器量だけで選んだ養子がよく働いて金がもうかってしょうがない」らしい。
親戚が集まって宴会しても私は表に出ないし、ひたすら料理作って洗い物して
時々は親戚のおやじどもの接待をし、養父母が強要し、満足する行動をしていれば、
私自身は雨露しのげて、生きられた。
でもバイトは生命線だった。学費・所費、すべてをまかなってたから。
それでも、本がすきだったから、ちょこっと趣味を楽しむ余裕ができてた。
「幸せなんて自分で探せば何とでもなっていける」とか前向きな考えもできるくらいに。
やがて、進路を決める時期になった。養父母の希望は女子短大だった。
理由は女子短大卒業が女性として一番ハクがつくから、だった。
大学だと生意気、高卒だとランク下、ちょうど良い釣書になるから、と。
そう、私は短大卒業と同時に、もう嫁ぎ先が決まっていた。
釣書で結納金の額が決まるように口裏を合わせ、一番高くなるように私を育てた。
今までの勉強と成績から、大学に進んで勉強を続けられるだけの下積みはしていたので、
望まれた短大は余裕で受かるだろう。滑り止めにもならないランクの大学だ。
自分の行きたい大学、学部があることを伝えたが、
「おまえみたいな、ろくでもない人間にここまでしてやったんだ、恩を返せ」
だった。
「お前みたいな野良猫のアバズレを、短大出のハクのある御嬢さんで売ってやったんだ、感謝しろ」と。
結納金1200マン、養父母は受け取った後でした。
相手は、20歳以上年上の農家の長男で町の青年団の団長をつとめる素敵な男性(笑)
私は大学からの帰り、しらないオッサンにいきなり拉致られ、何度目でしょうね、レ◯プなんて。
「高い金払ったんだ。早く跡継ぎを。若いから夜も朝も、なんどでもやるからねー。」
とおやじは私の上で腰フリながら、嬉しそう。
痛いんだけど、なんだよそれ。ばかじゃね? これが1200マン?
小さいときからつっこまれまくり、なめまくられ、いまカクカクつっこまれ。
私の人生ってなんだろう。
養父母の金のため? あー、あいつら、いくら稼いだっけ? 私で。
つか、わたし、子供うめないよ? どーすんだろ、こいつら。
なんか、いろいろが、どうでもよくなってしまった。
満足したオヤジほったからして、わたしはそのまま、姿消した。
もちろん、養父母の元に戻る気などない。
7年、捜索届が出されて7年立てばタヒ人になれるんだっけ?
養子縁組離縁、さっさとするかなー。でもメンドイナーとかおもいながら、
働いた金の貯えで独り暮らしを始めた。
何にもない暮らし。でも、これまでの経緯から慣れてた。
保証人付ける時には金使って保証人を立てた。
働いて稼いだ金を搾取されてたけど、こっちだって、しっかり守ってた金がある。
独りで生きてかなきゃならないんだから、会社だって将来まで手につく職があるように
がんばって探して、正社員を勝ち取った。
その時、はいった会社の総務の社員♂が、私になにかと世話を焼いてくれた。
会社にもなれ、仕事もがんばり、責任重い仕事を任されるくらいにまでなった頃、
その社員♂が私にプロポーズした。
私は生まれ、過去、今も遺されている私の悍ましい名状しがたい状態について話をし、
これ以上かかわってくれるな、と私は断った。
これから私は生きていくだろうけれども、一人で生き、タヒんでいくと決めてるからと。
そうしたら、彼はそれでも結婚してくれ、と応えた。
価値観も合うし、お互いにお互いのためを思うことができる自分らだと思ったから、
その気持ちを受け取って、結婚した。ややこしい戸籍の細かなことはこの時に知った。
不思議なことにほぼセッ◯スレスな生活にもかかわらず、お互いに夫婦だった。
手をつないで寝るだけで、夫も幸せだと笑ってくれるような、そんな。
主人の親御さんは私を大変かわいがってくれた。
親のいない子だと伝えても、決して、そのことでいびったり、嫌味を言うこともなく、
さわやかに「苦労したのね、がんばったのね。しんどい時には甘えていいのよ」と。
その結婚は幸せだったと思う。夫が急タヒするまでの、数年だけだったけれど。
姑さんの「お前が殺した、裏切者、あんなにかわいがってやったのに!」
という言葉をありがたく頂戴し、相続放棄、婚姻関係終了で絶縁した。
私。人殺しです、はい、
やっぱり犯罪やっちゃうよねー、
こういう生まれのロクデナシだから、恩をアダで返すの大得意ーwwww
私、相当壊れた、と思う。「思う」となるのは、記憶が飛んでるから。
気が付いたら、主人の墓も葬式も何も思い出せない。
1年近い時間の記憶が完全に飛んでやがる。
過去のトラウマで発狂するようなキチガイだから、
向こうさんだって、もうかかわりたくなかろう。
そして別の会社に就職して、なんとか状況が落ち着いた頃、変な手紙が届いた。
入っていたのは「養子離縁届」。
送り主は養母の妹。
内容は要約すると、養父がタヒんで、今度は養母がタヒにそう。
このままタヒぬと他人のアンタに財産行くけど、そんなの承知できない。
邪魔なんで消えてください、とのこと。
うざいんでそのまま離縁しておいた。
わざわざ興信所つかって、居場所探したらしいですぜ、お疲れさん。
最大の修羅場は、小学生の時の事件と、夫のタヒのどちらか、だと。
でも、記憶飛んじゃっててorz
オッサンの記憶も消えてほしいよ、いまだに苦しめられるんだ。
そんな修羅場(半生)、吐き出しました。
平穏だったのは、夫と暮らした数年。
これからが平穏だといいなぁって思う。
今も独りで生きてるよ。
仕事して、ごはん食べて、本読んで、フツーに繰り返しの日々。
ありがたいことに、こんな私を友達と呼んでくれる人たちがいるので。
不思議だ。独りだけど、一人じゃないかも、って思う時がある。
彼らには心から本当に感謝してる。
ほんとに勉強できそうだな
これからも頑張って生きてくよ!
乙
平穏に心穏やかに生きていってください
同世代でのほほんと生きてきた自分は貴女のために涙流すことしかできないけど
つか養父母はタヒんじまったから仕方ないとしても、
レ◯プ犯どもは吊し上げて八つ裂きにしてやりたい
>>579
昔だから
報告者が養父母に内緒で医者にかかっていたのか、
医者→養父母に連絡しても養父母が通報しなかったんだろうね
今はネグレクトとか問題に上がるけど、昔は今と違って通報義務とかなかったと思う
いや、これネタじゃないなら、マジで哀しすぎるわ
この記事へのコメント
良く生きてきた これからは良い事ばかりだよ
こういう生まれと育ちの人に対しても、ニュートラルに接することができるような人間にならないといけないな