娘が一歳の時、嫁が娘を連れて長期滞在で嫁実家に帰りました。
このころ嫁と嫁母はピーナッツ親子の共依存で、嫁母は非常識で嫁は嫁母の言うことはすべて正しいと信じていました。
実家に帰った初日の夜、嫁から娘が火傷をしたとの電話があり、状況を聞くと嫁母の不注意で料理中だった鍋を倒して娘の顔半分から胸に掛けて火傷を負わせたらしい。
翌朝会社でその日の仕事の整理だけして有給取ってすぐに嫁の実家に向かいました。
娘は顔半分が真っ赤で時間が経つごとに瘡蓋だらけになりました。
実家が田舎なので大した病院設備も無く、病院の先生からこのままだと一生痕が残ると言われたので、火傷治療に強い病院を探したら自分の家の近くに火傷治療において国から表彰された事がある医者がいる事が分かり、すぐさま嫁と娘を連れて自宅に帰る事にしました。
実家を出る時に嫁母から「孫がもう帰るなんて寂しい。もっとここにいればいいのに」と言われた。
元々非常識な事ばかり言う人間なので頭に来ていたけど無視しました。
駅まで送って貰う車の中でも「このまま事故したらもっと孫と一緒に要られるのに」と言い出し、ドン引きです。
一歳にして娘の人生が終わってしまったのかなと思ったのが一番の修羅場です。それでも娘と一緒に生きて行こうと決意はしていましたが。
娘の火傷はその先生のお陰で全く分からないぐらい消えました。
ちなみに自分は以前、母親と暮らしていたら知らない男と住むようになって、その男からお前は家族じゃないから出て行けと追い出された書き込みをした人です。
見ての通り自分は親と言う存在に恵まれない人間ですね(笑)
その後嫁さんは覚醒したの?
娘が悲鳴を上げや否や、嫁は俺を突き飛ばして娘抱いてバスルームに飛び込んで、自分が濡れるのも構わずに冷水浴びせてた。俺は病院に電話するくらいしか出来なかった。
嫁がいち早く手当てしてくれた事もあって跡は残らなかったけど、包帯を巻いた娘の顔、多分一生忘れられないと思う。
もう二十歳になるけれど、大人になってから影響は出ないだろうか?もし時間が戻せるならあの時に帰りたい。幾ら懺悔してもし足りない。
>>631の状況と623はぜんぜん違うよ…
一歳児を料理中に台所に入れるなんて。
跡が残らなくてよかったね。
ベビーベッドって本来兄弟から赤ん坊を守るためのものだよね。
私が子供の頃の写真、三歳前の私がベッドの柵に両足をかけて立ってて
その下に赤ん坊の弟が寝っ転がって笑ってる。
おかん写真とってる場合じゃない。
それベビーベッドの意味ないw
きっとお母さんは>>634が落ちないって自信があったんだよ(震え声)
嫁はP親子から抜け出しました。
それまでは嫁母の言いなりで嫁と孫を手元に起きたい嫁母が離婚して帰って来なさいと言うと離婚の話をして来たり大変でした。
火傷が酷いので周りから変な目で見られましたが親が子供の現実に向き合わないのはおかしな事なので本人が外に行きたいと言えば一緒に散歩しました。
皮膚移植などせず、何種類かの塗り薬を続ける事で無事火傷は痕も無く消えました。
一生痕が消えないと最初の先生に言われたの本当にどうなるかと思いました。
この記事へのコメント