最大の修羅場。
私の運転する車の助手席で実父が亡くなった事。
右折したら父が倒れこんできて、急いで停車して揺り起したら
瞳はくすんでいて、口元からよだれが垂れてきてた。
半狂乱で救急車を呼ぼうとしたが、その場の住所がわからず
号泣しながら近くの会社の工場に飛び込んで、住所を聞いた。
いまだにその道を通るのが苦手。
まさしく修羅場
でもお父さんも深夜の病室でひっそりよりは
愛娘のすぐそばで悪くない最期だったんじゃないだろうか。
吃驚ですよ。
一週間前まで仕事に行ってました。抗がん剤とかうったりしてましたけど。
5分くらい前に、「今日ははなちゃん(仮名)が連れて行ってくれるの?」
と言って、自力で歩いて私の車に乗り込んで、その5分後には亡くなってました。
ちょっと疲れたって母ちゃん動かなくなって、慌てて救急車呼んだらタヒ後数時間とか言われて、
親父姉貴俺3人で( ゚д゚)ポカーンで、気づいたらもう3年経ってたりする。
何書いてんだか自分でもワカンネ
癌の最後として、娘を持つ父親として、一番理想的な亡くなり方だと思う
自分も将来そういうのが良いな…娘には悪いがw
そして父のタヒ後生まれたこどもが二人。
一人目は発達障害児で、二人目は難病児。たいようのうたの主人公と同じ病気。
私の人生そのものがもう修羅場ですわ。
そうだね
本人も苦しまず、家族に介護の苦労もかけずに
最愛の娘の隣で亡くなるわけだから、父親的には理想だよね
残された側はちょっと…だが
うちの父親も末期癌だったが、その状態で何年も入院し
更にタヒ因は合併症を起こした別の病名だった
だからそんなに元気な状態の癌で急タヒってちょっと信じられない
書類上、別の病名が付かなかった?
タヒ因は心不全だよ、たぶん。
いや、書類上も直腸癌でしたよ。
癌発症からタヒ亡まで一年半くらいかな。
手術3回、(直腸、肝臓、前立腺)入院も数カ月しました。
最後はぎりぎりまで仕事をしたいという事で、意地で会社に行っていました。
亡くなった後、病院から葬儀場へ行くまでの間に、会社の前を通って頂きましたが
全社員総出で表に出てきて黙とうして下さいました。
幸せな最期だったと思いたいです。
つーか急に割り込んでゴメンね。
いえいえ。お気になさらず。
お互い大変でしたね。
私は7年前の出来事です。やっと話せるようになりました。
でも家族に見守られて亡くなったのは、最高の人生だったと思うよ
硬直の具合でタヒ亡時刻を推定したのなら、ズレることもあるのかもね
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