自分のじゃなくて母の修羅場でもいいのかな
>>963です
流れを読まずに失礼します。
文章が下手だったり改行がおかしかったりしたらごめんなさい。
私が小3になってすぐ、職場の健康診断で父の癌が発覚。
その時点で末期、余命は3ヶ月と言われていたらしい(私が大きくなってから聞いた)。
即入院で、ばたばたしていたのは幼いながらに覚えてる。
そこからが母の修羅場。
朝5時頃に病院から帰ってきて、小4の私姉と小3の私を学校へ送り出し、パートへ行く。
パートから帰ってきたら夕飯と父の食事(病院食嫌いだった)を作り病院へ。
そのまま病院に泊まり、また朝5時に帰ってくるというハードなスケジュールを毎日こなしていた。
そんな母の懸命な介護で余命3ヶ月の父は1年も生きた。
4月の姉の誕生日の前日に亡くなり、母が喪主で葬式を行った。
祖母も私達姉妹も大泣きしてる中、母だけは毅然としていて、涙一つ見せなかった。
長いと言われたので一度切ります。
続きです。
葬式などが終わり、私達も休んでいた学校へ通うようになってから、夜な夜な大人達が話し合いをしているのを、偶然聞いた私。
・父がタヒんだのは良い病院に入れなかった母のせい。(これは父が私達とたくさん会えるように遠くの設備の良い病院を拒否したから。母以外知らない)
・父はタヒんだが長男の嫁なんだから祖母の面倒は母が見ろ。
・出ていくなら子供達は置いていけ。
・長男の嫁の癖に父家のものに逆らうな。
などなど、母が責められているのを聞いてしまった。
私達を置いていけないと思った母は(これも後から聞いた)父の実家に残り続けることに。
祖母や父方の親戚からの母に対する風当たりはきつかった。
色々言われりやられたりしたらしいけど詳しくは聞いてない。
8年間、母は耐え抜いた。
3年前、姉が進学を機に県外へ引っ越すことになり、それと一緒に母と私も父の実家を出た。
祖母について父方の親戚と話し合った時に
「祖母なら俺が面倒見る。出ていけるなら出てってみろ(要約)」
と今まで何もせず、嫁と幸せに暮らしてた父の弟が言いやがったため、お望み通り出てやったのだと母は言う。
しかし、弟も弟嫁も祖母の様子を見に来やしない。
孤独タヒなんかも取り上げられるようになり、心配になった母と私が引っ越し当初からちょくちょく見に行ってる。
良い距離感になったからか、祖母も母も刺々しい雰囲気はなく、祖母の作った野菜をよくもらう。
父の入院から引っ越すまで、病院→家→仕事→病院…を行き来した忙しさ的な意味でも
父方の親戚からのいびりなどの精神的な意味でも
母は修羅場だっただろうと思う。
長文すみません。
しかしお父さんが入院中も同居だったの?
それなのに義実家の人たち、何にもしてくれなかったんだね
挙句にイビリだなんて
孤独タヒしてもいいんじゃないの
ありがとう
私が3歳くらいから父の実家で同居でした
祖母は父の入院中
トイレの 窓の サッシだけを(強調)
ぴかぴかに磨いていてくれたみたいです
他の親戚はたまーに見舞いに来るだけだったかな
963から見ればそんな人でも血の繋がった祖母だしなあ
母親からすれば娘と血の繋がった祖母を、そう無碍にもできないんだろな
私の夫で娘の父親でもあるあなたの息子が余命いくばくもない時、
あなたはその息子のために何をしてくれましたか?という見方もできるわけで
どの口がお母さんを罵れるんだ…
お母さんも、遺族に支給されるお金を受け取って、娘たちを連れて義実家を出て行けば良かったのに
多分優しい人だから、タヒんだお父さんの母親を見捨てられなかったんだろうね
実際子供おいてけっていわれたところで、取り上げられるわけでもないだろうに
963です
何度もすみません
レスくれた方ありがとうございます
誰かに話したかったのですっきりしました
ちなみに母が祖母の面倒を見てたのは意地だそうで
誰も引き取らないのは分かってたし今までも一緒だったんだから今更な感じだったみたいです
スレ埋め?にちょっとした私の修羅場話を
父のタヒ後、初登校した日の下校中
登下校班が一緒だった男子たちに
ご焼香して下さった方々にお辞儀を返す母とそれを真似てお辞儀していた私を
面白おかしくネタのように真似をされた
ぷっつんと何かが切れたように私は大泣きして家に走り帰り、母に泣きついた
慰められながらも悔しくて悔しくてたまらなかった私は行動に出る
今まで大人しく先生に言い付けるなんてしなかった私が
次の日の朝の会の前に大泣きしながら(この時点では無理やり)前日のことを先生にチクった
珍しいわたしの行動に先生は真剣に話を聞いてくれて詳細を話していたら
思わず言わなくてもいいことまで言いながら本当に泣き出してしまった
結果、男子たちはこってり絞られ、今回は悪意があるとして(今までもいじめられてたが先生にはからかいに取られてた) 親にもまで連絡が
謝ってきたから表面上は許したけど今でも忘れてないし忘れない
なんであんな奴には父親がいるんだと
どうしてうちの父親がタヒぬんだと
なんで父じゃなくてあんな奴が生きてるんだと
呪わんばかりに男子たちを憎んでた私の心中が修羅場だった話でした
乙。せめて真剣に聞いてくれる教員で良かった
しかしいくらガキとは言え、父親亡くした直後の人間にそんなイジメするようなヤツはシネ!
この記事へのコメント
仕事と子育てしてる嫁に食事を用意させて朝まで付き添わせる父親もどうかと思うんだけど。
食欲ある状態なら付き添い要らなくね?