やっと自由になった俺の人生を振り返って書き起こしてみた。
非常に長いが、暇なら読んでくれ。
小学3年の時、通学路に土手があったんだが
その土手を下りたところの河川敷ってのがセイタカアワダチソウがみっちり群生してて
そこに小さな犬がトコトコはいっていくのが見えた。
俺の家は父と母の3人家族なんだが、今でいうネグレクトと言うのか
俺のことは無関心という感じで、そのくせ何かあると殴られたりしていた。
ふたりとも仕事から帰ればお酒ばかり飲んでて、食事なんかはスーパーで買ってきた出来合のおかずを
自分でチンして食べていた。白飯はなかった。(米自体を買っていなかった)
部屋の中がいつも煙草の煙でモクモクしてて、同級生から煙草臭いと嫌われてもいた。
担任の先生が、俺の煙草の臭いを気にして2度ほど自宅を訪ねてきたが
父親に凄まれてからは見てみないフリをされた。まぁ仕方ないかと当時は思っていた。
そんなふうな家庭だったから、いつも学校の帰り道は憂鬱で
犬を見つけた時は、なんか嬉しくて探しに土手を降りて行った。
セイタカアワダチソウをかき分けて探していたら、そのうち方向が全く分からなくなって
そのうちズボッと何かの穴に落ちてしまった。
数日前の雨がまだ残ってて、腰のあたりまで泥だらけになって
穴から出ようとしても滑って出られない。
大声を出しても何の反応もない。
怖くてわーわー泣いていたが、何も起きなくてそのうち泣きつかれてしまった。
そして空の色がだんだん赤くなっていった。
そうこうしていると、木片を見つけた。
その木片をグッとつかんで、ぬかるんだ土にぶっ刺しながら少しずつ少しずつ這い上がり
ようやく穴から出られたんだが、もう薄暗くなってて
他にもこんな穴があって又落ちたらと思うと怖くて動けなかった。
這い上がることに体力を使ったこともあって、そのまま眠ってしまった。
夜中に寒くて何度か目が覚めたけど、とにかく明るくなってからと思ってジッとしてた。
その時に思ったこと。
お父さんもお母さんも僕が帰ってこなくて心配してくれるだろうか。
今頃必タヒで探してくれているだろうか。
朝になって、慎重に草をかき分けながら歩いて行ったら、大きな石があった。
その石に乗ってできるだけ高くジャンプしたらマンションが見えた。
その方向に向かってゆっくり歩いていったらようやく土手に辿りついた。
早朝で人の姿はなく、それはそれでなんか怖くて走って逃げるように自宅に帰った。
わざと大きな音が出るように鍵を開けて部屋に入ると、
いつも通りに父と母の鼾と酒の臭いがしていた。
ランドセルを置く音で気付いたらしい母親が出てきて
思わず泣きそうになったが、
「汚い恰好してなにやってたんだよ!面倒が増えるようなことしてんじゃねーよ!
自分で洗いな!」って怒鳴られた。
同時に奥から父親の「うるせぇ!」って声が聞こえた。
俺は風呂場に行って服を着たまま頭からシャワーを浴びて、
そのあと服を脱いで泣きながら風呂の中で洗った。
両親は探すどころか、いつも通りにお酒を飲んでいつも通りに寝ていたらしい。
それまでも自分が親に大切にされてると思ったことは一度もなかったが
どこかで親の愛情を求めてたと思う。
だけどこの日から親に何かを求める、何かを期待することは一切なくなった。
街中に行くと高速道路の高架下で暮らしてる人たちがいて、
ああやって生きていこうかと本気で近づいていったことがあった。
できるだけ優しそうなおっさんを選んだ。
親の煙草を一箱くすねて、それを手土産にここに置いてくれって頼んだ。
当時、子供ながらにホームレスのおっさんが一番欲しがるのは煙草だと思っていた。
そしたら、横から高速で手が伸びてきて、その煙草を別のおっさんに奪われた。
そして話しかけたおっさんから「こんなところに来るのはどん底のどん底に落ちたやつだけだ。
おまえはまだまだできることあるだろ。ホームレスなめんな」
うろ覚えだが、そんなことを静かに言われた。
ホームレスの群れの中にいることが突然怖くなって走って逃げた。
それからはとにかく勉強した。とは言え、劇的に成績が上がるなんてこともなく
ただ、いつも20点とか30点しか取れなかったのに、平均点以上は取れるようになった。
学科によっては上位に入ることもあった。
両親は義務教育は中学までなんだから、卒業したら働けと言った。
が、自分でなんとかするからと言って進学した。
実際、受験料も含めて一銭も出してもらっていない。
当時の担任の先生が、出世払いだと受験料と入学金を立て替えてくれた。
制服や体操服などは先生が知り合いから譲ってもらってくれた。
入学してからはバイトをして諸費用を調達し、修学旅行にも自分で稼いだ金で行った。
もちろん立て替えて貰ったお金も返した。
あの時の先生だけは一生忘れないし、恩を感じている。
大学に行く気は最初から全くなかった。行けるとも思っていなかった。
高卒後は東京の大手スーパーに就職した。社員寮の生活は天国だった。
そしてここでお金を貯めたあと、昼間は派遣で働きながら夜間の専門学校に通った。
資格を取得してからは再び正社員で働いている。
スーパーを辞める時に、実家には一切何も知らせなかった。
結婚は一生しないと決めている。
あんな親がいる以上、結婚しても妻になる女性にどんな苦労を掛けるか分からない。
どんなに疎遠にしても、いつ見つかるか分からない。
それに、なによりも自分自身が家庭と言うものがよく分からなかったから。
そして案の定というか、30過ぎた頃に戸籍の附票から住所がばれ、母親が訪ねてきた。
父親があれこれ借金こさえてタヒんだらしい。
そんなもんは放棄すれば済むことだったが、母親が俺と一緒に暮らしたいとぬかしやがった。
幸い職場はバレていなかったので、母親が自分の荷物を取りに地元に帰っている間に
身の回りのものだけバッグに詰めてカプセルホテルに移動した。
そして俺の人生で最初で最後、母宛に手紙を書いた。
「二度と訪ねてくるな。おまえに息子はいない」とそれだけ。
念のために2ヶ月近くカプセルホテルで暮らしたあと、引っ越した。
ここまで俺の人生は修羅場続きだった。
が、それから5年ほど経ってようやく本当の意味で解放された。
母がタヒんだと警察から連絡があった。
原付での自損事故。
物損はあったが、最期は他人に迷惑を掛けずにタヒんだことだけは評価する。
アパートの大家にはお金を渡して全て処分してもらった。
大家も母には手を焼いていたらしい。
迷惑料も大家の言い値に色を付けて渡したら
快く片付けてくれた。
暫く経って大家から連絡があり、部屋に俺宛の手紙があったんだが
そっちに送りましょうか?と。
「結構です。捨ててください」と答えた。
やっと何の不安も心配もなく暮らしていける。
出来れば結婚やこれまでの人生では諦めて来たことも叶えてください
どうかずっと幸福な人生を生きて下さい
貴方のそれからに幸多からんことを
それから → これから
>>309―311
乙でした。
仕返ししないなんて、本当に優しい人だね。
私は老いた母親と同居して、子供の頃の仕返ししているから
あなたが優しい人だと言い切れる。
まあ、母親は悔い改めて人生やり直す事もないままオッタヒんでったようなので
あなたが仕返しなくても不幸なままだった様ですけど。
これからは、もっと幸せになってください。
お前のような男と生涯沿っていく妻は幸せだと思う
お前のような父に育てられる子はまっすぐに育つと思う
だから安心して自分の家庭を持ってくれ
この記事へのコメント