妹が子供を病気で亡くした。
教師をしていた妹はたびたび学校で不意に泣きながら
生徒を抱きしめる行為をして教師を退職した。
教師を辞めた妹は1日家に籠りタヒんだ子供の遺影を眺め続け
同じく教師をしていた旦那さんは一大決心をして親の反対を押し切り
妹を連れてド田舎に引っ越す。
生徒数がわずかに30人足らずの小中同時教育の学校で旦那さんは
教師を続ける。
妹は心療内科に通いながら全生徒数30人の学校にたまに顔を出し
子供と触れ合っていた。
旦那さんが校長・保護者に事情を説明し土下座する勢いで頼み許可を
貰ったらしい。
都会の大きな学校だと人数が多くて説得が大変だと思ったと後に聞いた。
これが30年前の話。
今の妹には孫もいる。
旦那さんは笑い話にしてるけど妹が旦那を見つめる目は数十年経った今でも
愛情がタップリ詰まってると感じる。
きっと自分が知らない所でも旦那さんは妹に尽くしてきたんだう。
私ですか?ええもうすぐ60代になりますが独身です。
悲しい話だ
>>308
当時は本当に修羅場でした。
たぶん最悪の修羅場にならなかったのは旦那さんのお陰だと思う。
当時を思い返すと明るく元気な妹が抜け殻になったのは衝撃だった。
人としてそこに存在してるだけ、感情がほぼ0の状態だった。
妹の食事も下の世話も最初は旦那さんが全部やってた。
少しして事情を知った私と母が手伝ったけど。
書けないの?
それは強制される事なんでしょうか?
各々の判断で決める事なのでは?
義理でも弟と書かないくらい、精神的距離があるのかと思った
甥もしくは姪にしても然り
文章には報告としての文と感想としての文があります。
妹の甥がタヒんだ←これは文章として成り立っていません。
妹の娘がタヒんだ←これが文章としての通常の形です。
甥がタヒんだ←これでは妹が子供を亡くしたのか弟が子供を亡くしたか不明です。
後半で旦那のワードが出てくるので解決しますが更に理解しやすくする為に
序盤で「妹が子供~」と書きました。
義弟←これは個人の感想になりますが文字として冷たい感じがしました。
普段は旦那さんの事は名前で呼んでおります。
義弟と書くよりも妹が愛する旦那様という私個人のイメージで旦那さんと
いうワードにさせて頂きました。
報告としての文では無く、私が感じた想いの文です。
この記事へのコメント
60代独身っていうのがよくわかる文章やな
棘のある突っ込み入れたら冷静かつ論理的に反論されてて笑った
バカの相手を正面からするなの見本