流れを読まずに俺の中学生時代に体験した修羅場。
当時はインターネットどころかパソコン通信も普及しておらず
加害者の名前でググっても出てこないから30年近く前、
滋賀県草津市に有る当時、1学年辺り15組近く有った
中学校での出来事だと晒しておく。
全国的に校内暴力が問題になっていた時期、この中学校は
俺が入学する前から校舎のガラスが百枚以上割られるなど
散々荒れていた事で知られていた。その中でも最たるのが
今で言うところのDQNグループ。俺は転校が多かった事から
目を付けられ様々な嫌がらせをされたが、幸いだったのは
標的は俺だけでは無かったので被害はある程度分散していた。
それでも被害は続いたので再三、再四に渡って
担任、学年主任の教師に被害を訴え続けるものの放置。
それどころか「神の試練だから甘んじて受けろ」などと
訳の判らん言い訳で事態の解決をのらりくらりと避け続けられた。
病院に通った回数は2桁に達して俺の精神はかなり参っていた。
(余談だが、この事が切っ掛けで俺は無神論者になった)
そんな感じの状況が続いたまま進級してしばらく経ったある日の事。
いつもの如くDQNグループに絡まれ、更には複数回殴られ…
当たり所が悪くて学校近くの病院に運ばれたのだが、
其処から帰った時に異変に気付いた。
俺が連れてこられた校長室で知らない人から色々と事情を聞かれたのだ。
何事か判らないまま誰だか尋ねると草津警察署の刑事だった。
後で知った事だけど、相手はその日のうちに5回ほど事件を起こして
中には教師も被害に遭ってた事から手に負えないと判断したらしい。
そして、これまで俺からの訴えを放置し続けていた
教師連中は終始、頭を下げたままだった。
この日の加害者は複数居たが、グループのリーダー格は
たまたま関わっておらず残念ながらお咎め無しだったものの
俺は警察署で事情聴取されたり家裁に行ったりした。
ちなみに当時の主犯格1名は卒業まで姿を見せなくなった。
そして数か月後に新聞を見て狂喜した。
バイク暴走による事故タヒと実名で記載されていたのだ。
(今なら名前を隠して報道するんだろうけど当時はハッキリ書かれてた)
後で聞いた話では少年院に入っていたらしく、
出所した直後に川の堤防で暴走して転倒、
右足を吹っ飛ばした際にの失血でタヒんだそうな。
自宅近くに火葬場が有った関係で見覚えの有る連中が
喪服を着てる姿を見て鼻で笑ってたが
それでも俺の心が完全に癒える事は無かった。
そいつらとは進路が全く違う事から俺は無事に成人する事が出来た。
俺が精神的に最も追い込まれた時お世話になったのが
青少年相手の電話相談サービス。
俺が居た地域では「ヤングテレホン」と呼ばれてるものだが、
此処の職員の方による励まし・助言が無ければ
俺がこうやって書き込む事は無かったと思う。
お疲れ
自分もあちこち家族の転勤で住んだけど、滋賀(同じく草津だった)だけは二度と住みたくないわ
今は守山とかベッドタウン化でマンションいっぱい立ってるから外からの人もだいぶ増えてるけど、
公務員関係の腐り具合は10年前でもまだまだどうにもならん感じだったよ
元住人も居ましたか…乙です。
去年に仕事で行ったら西友跡地近辺がマンション街になってて
浦島太郎になった気分を味わいました。
本陣近くには背乗りの注意喚起を促すのぼりが立てられてたり
してるんである程度お察しな地域で有る事には変わり無さそうですねw
うーん さわやかな爽快感だ DQNの自爆事故、ってのが気持ちいい
この記事へのコメント
そんな性格してるから虐められるんだよね
まずは性格を変えてみよう!